【私の履歴書#7】公務員編⑤〜行きたくなかった財務省で、評価されてしまった話〜

私の履歴書

 こんにちは、navilisの徳山です。

 前回は、専科研修で気づいた
 「利己的なまま、人の役に立てる」という話を
 書きました。

 今回は、その研修のあとに
 待っていた異動の話です。
 行きたくなかった場所で、
 1年半過ごすことになりました。


■ 税務調査が天職だと思っていた

 専科研修を受けるころから、
 私はすでに退職への道筋を考えていました。

 辞めるなら、出世を追いかけるより、
 好きな仕事をやり切って辞めたい。
 そう思っていました。

 その「好きな仕事」が、
 税務署での調査でした。
 現場で事業者と向き合い、調査をする。
 あの仕事は自分に向いていると思っていたし、
 辞めるまでずっとそれをやっていたかった。
 (この話は#4に詳しく書いています。)

 だから、異動の希望を書く
 「身上申告書」には、
 今いる場所への残留を書きました。


■ 気づいたら異動が決まっていた

 残留を希望したところ、
 上司に止められました。

 そのときの上司のことは好きでした。
 だから顔を立てようと思い、
 現実的な選択肢の中で一番の出世コースと
 言われていた「大阪国税局法人課税課」を
 希望しました。

 そもそも、揉める余地すらありませんでした。

 過去にお世話になった人たちが
 私を推薦してくれていたらしく、
 気づいたら財務省主税局への
 異動が決まっていました。

 本来であれば、意向を確認するタイミングが
 あるはずでした。
 身上申告書を書き直すプロセスも、
 あるはずでした。

 私にはありませんでした。

 今でも許してはいません(笑)。

 聞いた話では、内部専科という特殊な経歴、
 税務調査での実績、
 専科研修での評価
 (優等賞は逃したものの、最高評価)
 ——そういったものが重なって、
 推薦につながったようです。

 自分で望んだわけではありませんでした。
 それでも、結果として行くことになりました。


■ 合わなければ、1年で戻ればいい

 主税局は、法律を作る部署です。

 私のようなノンキャリアは、
 キャリア官僚のお手伝いをする立場でした。
 国会対応、税制調査会の対応、資料作成
 ——そういった仕事が中心でした。

 ただ、資料を作るときに意見を言う場面は
 十分にありました。
 それだけは、やりがいがあった。

 行きたくなかった場所に
 来てしまったのだから、
 自分をそのまま出して、
 合わなければ合わないと判断してもらって、
 1年で戻ろうと思っていました。

 これが誤算でした。

 合わなかったのに、評価されてしまいました。
 まさかの2年目に突入することになりました。


■ 財務省の人間は、本当に優秀だった

 財務官僚への風当たりが
 強いことは知っています。
 でも、実際に一緒に働いてみると、
 そのイメージはほとんど
 先入観だと感じました。

 財務省にいる人間たちは、本当に優秀でした。
 格の違いは感じていた。
 でも、先入観で持っていたイメージとは
 全然違いました。


■ 行きたくなかった場所で、得たもの

 在籍は1年半でした。

 税務署時代、自分は法律に
 詳しいと思っていました。
 主税局に来て、
 それが完全な勘違いだと気づきました。
 そして、本当の意味で
 法律を理解するようになりました。

 苦手が消えたわけではない。
 でも、苦手の度合いが薄くなっていく
 感覚がありました。

 自分が不向きな場所でも、
 生きていけることも知りました。

 そしてこの職歴が、その後の道を
 開くことになります。
 MBAへの進学も、税理士法人への転職も、
 皮肉なことに財務省という
 1年半があったからこそでした。

 行きたくなかった場所が、
 今の自分をつくっていた。
 そういうことは、
 人生に割とよくあるものです。


 次回は、財務省を去る決断をした
 話を書きます。


navilis 代表 徳山侑紀

コメント

タイトルとURLをコピーしました